ウイ、地震を語る。
今日で阪神大震災から12年。
生まれも育ちも神戸っ子の私は、やっぱりこの日を忘れることが出来ません。
当事者である私たちでも、風化しつつある地震の体験。
さすがに今日はいろいろと思い出していました。
そういえば、地震の時のことを改めて書いたことがなかったので、
この場をお借りして、書き綴ってみようと思います。
文章力がないのでうまく伝えられないけど…。
いろんな人に何か感じ取ってもらえたらなぁと思います。
と、いうか、忘れたくないが為の自己満足記録ですが。
めーーっちゃ長いですが、良かったらどうぞ↓
当時、私は高校1年生。
数日後にスキー旅行を控えた日でした。
私が住んでいたところは、神戸市内でもわりと被害が大きかった区。
当時住んでいた団地も、半壊でした。
自分の部屋で寝ていた私は、本棚とテレビの下敷きに。
「動かれへん!」
と、とっさに思ったけど、本棚の中身(大量のマンガ)は全部出て、
ひょいと動けたのでした。
隣の部屋で寝ていたオカンの声が。
「ウイ!大丈夫か!」
その時のオカンの悲壮な叫び声は、多分一生忘れないと思う。
「大丈夫や!」
返事をして部屋を出た。
とりあえず、家の外に出よう。
まだあたりは暗い。
玄関にかけてあるはずの時計がない。
足元を見ると、電池も落ちて止まっている時計があった。
5時46分…。
外へ出ても誰もいない。
「夢やったんかな?」
そんなワケない。
何度見ても家の中はぐっちゃぐちゃ。
台所には、ソースとコーヒーがぶちまけられていて、
混ざり合ってすんごい匂いを放っている。
そうしてるあいだに、次々と人が出てきた。
出てこない家のドアを思いっきり叩く。
団地なので、お年寄りの一人暮らしや、小さい子がいる家族など
家族構成も様々。
出てこないと心配…。
あとでわかった事だが、幸いにもこの団地で亡くなった方はいなかった。
隣のおっちゃんが、
「とりあえず、うちの車に乗っとき!」
と声をかけてくれた。
みんなで下に下りて、唖然とした。
冗談抜きで戦争が始まったかと思った。
西のほうから火の粉が飛んできて、煙が上がっている。
とにかく、隣のおっちゃん家族と車で待機。
避難所でもある、小学校の校庭に止めていると
次々と車が入ってくる。
そのせいか、余震のせいかはわからないけど、
車内は揺れっぱなしだった。
少し落ち着いた頃、外に出ると、地元の友達がチャリンコでやってきた。
「お前も大丈夫やってんな!」
何だかすごく安心した。
「うん!とりあえずな…。」
「●●や△△とかも大丈夫みたいやで!」
「そうか、良かったな!」
当時は高校生の私らのあいだでは、ポケベルが主流で、
今みたいに携帯電話持ってる同級生なんていなかった。
(あっても繋がらなかったかな、たぶん)
連絡を取り合うと言っても、電話が繋がらない。
何人かと、こうして近所を走りあるいた。
小学校に戻ると、とりあえずの居場所が決まったようで。
うちらは当分、図書室で寝泊りすることになった。
長くこの土地に住んでいるので、友達や知り合いも多い。
近所の仲良し家族と、図書室の一角を陣取ったようだ。
わりと早い時期に電気はついた。
テレビを見て、ビックリした…。
私らのところはヒドイ方なんだと思ってたけど甘かった。
もっともっとエライことになっていた…。
水は出ない、ガスもつかない。
お腹すいてきた…。
オカンも含め、近所の人たちが一旦家に戻り、
ありったけのゴハンやらパンやら持ってきて、
おにぎりにしてくれて、とりあえずそれを食べた。
その時に初めて、この先が不安になったのを覚えてる。
これから食べるもんあるんやろか…。
トイレは流れへんから、バケツリレーで大のみ流す。
小は流したらアカンでー!と怒られる。
当然、お風呂も入れない。
実に13日間!
こんなに風呂に入らなかったのは後にも先にもこれが最後。
思春期バリバリ16歳の私は耐え切れなくて、
このクソ寒い中、水で髪の毛洗ったけどね…。若さゆえ…。
地震後初めて、近所の銭湯に死ぬほど並んで入ったあの気持ちよさは
ほんまに忘れられへん…。
学校も当然休み。(ってか、電車が走ってないから行けないし)
毎日地元のツレとチャリンコで食料調達に行ったり、
配給される水くみに行ったり、
公園でやってる五右衛門風呂の様子を見に行ったり、
(さすがに入れませんでした…めちゃ入りたかったけど)
そんなある日、いつものようにバケツリレーしてる私を呼び止めた。
「Sちゃんな、亡くなったんやて…。」
声をつまらせながらオカンが言った。
中学校の同級生のSちゃん。
速攻、近くの中学校に避難してるツレのところに言った。
近くの団地の集会所で、お葬式があった。
みんなでめっちゃ泣いた。
毎日不安やったけど、どこかまだ人事みたいな気でいた。
それは、自分が助かったからや…。
初めて聞く、友人の訃報だった。
他にも先輩のお母さんが亡くなったり、
高校の同級生が亡くなったり…。
あまり身近に死を感じたことがなかったから、
例えようがない辛さやった。
2月に入って、まだ避難所生活だったけど、
代替バスやチャリなどを使えば、学校にも行けた。
いつもサボってばっかりやったのに、
こうなると早く学校に行って、みんなに会いたかった。
学校の近くはわりと被害が少ない地域だったので、
しょっちゅうお風呂入らせてもらったり、
夕食をご馳走になったりした。
私たちの暮らしは、1ヶ月もしないあいだに落ち着いた。
家にも戻れて、ガスや水道も復興しだし、
スーパーなんかも開き始めた。
この時の人の暖かさと、傲慢さは忘れられない。
本当にみんなにお世話になった。
「お母さんと一緒にずっと泊まっててええんやで!」
と言ってくれた友達のお母さんや、
配給が少ないと言っては自分とこで余ってた分を運んでくれた
中学のツレ。
他市から心配して会いにきてくれた友達…。
ほんまに今でも覚えてる!
かと思えば…。
避難所の前で「バケツの水 1杯1000円」と書いて売りに来るヤツ。
おにぎり一個を取り合いして殴り合ってるオッサン。
いろいろあったなぁ〜。
なんか、ほんまに今考えても泣きそうになる…。
テレビ見ても、泣いてしまう…。
幸いにも、私の友人や家族は無事だったけど、
6434人の人たちが亡くなって…。
月並みな言い方やけど、胸が痛くなる。
自分と置き換えて怖くなる。
今、地震が来たら、こどもら守れるかな?
layとree連れて、逃げられるんかな?
パパおらへん時やったらどうしよう…
いろいろ考えたら怖くなる。
考えたって仕方ないけど、考えておかなアカンこと。
そう思うと、いつも悩んでるlayのイヤイヤなんてどうでもよくなる。
こどもやパパが愛しくて仕方ないな。
もっと優しくなれそうな気がする。
もっと精一杯、頑張れそうな気がする。
しょうもない事で悩んでるのが、幸せな気さえしてくる…。
あさってはlay3歳の誕生日。
layの誕生日も、reeの誕生日も、パパも私も。
これからもずっと家族でお祝いしていけますように。
家族も、友達も、近所の人も、ただ知ってるだけの人も、
いつも遊びに来てくれてるブロガーさんたちも、
世界中の人が幸せになれますように…。
エライどでかいとこまで行き着いてしまったけど(笑
キレイごとかも知れないし、
全員が仲良く幸せ♪なんてありえへんことかも知れへんけど…
願わずにはいられません。
「なに言うとんねん!」「キレイごとばっか言いやがって!」
と思われるかもやけど…
今日ぐらいはカンベンしてください。
「みんな幸せになれますように。」
うん、いい願いじゃないか!
夢はでっかく! ね!ね!(うんと言って)
亡くなった方のご冥福を、心よりお祈りいたします。
2007年1月17日
ウ イ
生まれも育ちも神戸っ子の私は、やっぱりこの日を忘れることが出来ません。
当事者である私たちでも、風化しつつある地震の体験。
さすがに今日はいろいろと思い出していました。
そういえば、地震の時のことを改めて書いたことがなかったので、
この場をお借りして、書き綴ってみようと思います。
文章力がないのでうまく伝えられないけど…。
いろんな人に何か感じ取ってもらえたらなぁと思います。
と、いうか、忘れたくないが為の自己満足記録ですが。
めーーっちゃ長いですが、良かったらどうぞ↓
当時、私は高校1年生。
数日後にスキー旅行を控えた日でした。
私が住んでいたところは、神戸市内でもわりと被害が大きかった区。
当時住んでいた団地も、半壊でした。
自分の部屋で寝ていた私は、本棚とテレビの下敷きに。
「動かれへん!」
と、とっさに思ったけど、本棚の中身(大量のマンガ)は全部出て、
ひょいと動けたのでした。
隣の部屋で寝ていたオカンの声が。
「ウイ!大丈夫か!」
その時のオカンの悲壮な叫び声は、多分一生忘れないと思う。
「大丈夫や!」
返事をして部屋を出た。
とりあえず、家の外に出よう。
まだあたりは暗い。
玄関にかけてあるはずの時計がない。
足元を見ると、電池も落ちて止まっている時計があった。
5時46分…。
外へ出ても誰もいない。
「夢やったんかな?」
そんなワケない。
何度見ても家の中はぐっちゃぐちゃ。
台所には、ソースとコーヒーがぶちまけられていて、
混ざり合ってすんごい匂いを放っている。
そうしてるあいだに、次々と人が出てきた。
出てこない家のドアを思いっきり叩く。
団地なので、お年寄りの一人暮らしや、小さい子がいる家族など
家族構成も様々。
出てこないと心配…。
あとでわかった事だが、幸いにもこの団地で亡くなった方はいなかった。
隣のおっちゃんが、
「とりあえず、うちの車に乗っとき!」
と声をかけてくれた。
みんなで下に下りて、唖然とした。
冗談抜きで戦争が始まったかと思った。
西のほうから火の粉が飛んできて、煙が上がっている。
とにかく、隣のおっちゃん家族と車で待機。
避難所でもある、小学校の校庭に止めていると
次々と車が入ってくる。
そのせいか、余震のせいかはわからないけど、
車内は揺れっぱなしだった。
少し落ち着いた頃、外に出ると、地元の友達がチャリンコでやってきた。
「お前も大丈夫やってんな!」
何だかすごく安心した。
「うん!とりあえずな…。」
「●●や△△とかも大丈夫みたいやで!」
「そうか、良かったな!」
当時は高校生の私らのあいだでは、ポケベルが主流で、
今みたいに携帯電話持ってる同級生なんていなかった。
(あっても繋がらなかったかな、たぶん)
連絡を取り合うと言っても、電話が繋がらない。
何人かと、こうして近所を走りあるいた。
小学校に戻ると、とりあえずの居場所が決まったようで。
うちらは当分、図書室で寝泊りすることになった。
長くこの土地に住んでいるので、友達や知り合いも多い。
近所の仲良し家族と、図書室の一角を陣取ったようだ。
わりと早い時期に電気はついた。
テレビを見て、ビックリした…。
私らのところはヒドイ方なんだと思ってたけど甘かった。
もっともっとエライことになっていた…。
水は出ない、ガスもつかない。
お腹すいてきた…。
オカンも含め、近所の人たちが一旦家に戻り、
ありったけのゴハンやらパンやら持ってきて、
おにぎりにしてくれて、とりあえずそれを食べた。
その時に初めて、この先が不安になったのを覚えてる。
これから食べるもんあるんやろか…。
トイレは流れへんから、バケツリレーで大のみ流す。
小は流したらアカンでー!と怒られる。
当然、お風呂も入れない。
実に13日間!
こんなに風呂に入らなかったのは後にも先にもこれが最後。
思春期バリバリ16歳の私は耐え切れなくて、
このクソ寒い中、水で髪の毛洗ったけどね…。若さゆえ…。
地震後初めて、近所の銭湯に死ぬほど並んで入ったあの気持ちよさは
ほんまに忘れられへん…。
学校も当然休み。(ってか、電車が走ってないから行けないし)
毎日地元のツレとチャリンコで食料調達に行ったり、
配給される水くみに行ったり、
公園でやってる五右衛門風呂の様子を見に行ったり、
(さすがに入れませんでした…めちゃ入りたかったけど)
そんなある日、いつものようにバケツリレーしてる私を呼び止めた。
「Sちゃんな、亡くなったんやて…。」
声をつまらせながらオカンが言った。
中学校の同級生のSちゃん。
速攻、近くの中学校に避難してるツレのところに言った。
近くの団地の集会所で、お葬式があった。
みんなでめっちゃ泣いた。
毎日不安やったけど、どこかまだ人事みたいな気でいた。
それは、自分が助かったからや…。
初めて聞く、友人の訃報だった。
他にも先輩のお母さんが亡くなったり、
高校の同級生が亡くなったり…。
あまり身近に死を感じたことがなかったから、
例えようがない辛さやった。
2月に入って、まだ避難所生活だったけど、
代替バスやチャリなどを使えば、学校にも行けた。
いつもサボってばっかりやったのに、
こうなると早く学校に行って、みんなに会いたかった。
学校の近くはわりと被害が少ない地域だったので、
しょっちゅうお風呂入らせてもらったり、
夕食をご馳走になったりした。
私たちの暮らしは、1ヶ月もしないあいだに落ち着いた。
家にも戻れて、ガスや水道も復興しだし、
スーパーなんかも開き始めた。
この時の人の暖かさと、傲慢さは忘れられない。
本当にみんなにお世話になった。
「お母さんと一緒にずっと泊まっててええんやで!」
と言ってくれた友達のお母さんや、
配給が少ないと言っては自分とこで余ってた分を運んでくれた
中学のツレ。
他市から心配して会いにきてくれた友達…。
ほんまに今でも覚えてる!
かと思えば…。
避難所の前で「バケツの水 1杯1000円」と書いて売りに来るヤツ。
おにぎり一個を取り合いして殴り合ってるオッサン。
いろいろあったなぁ〜。
なんか、ほんまに今考えても泣きそうになる…。
テレビ見ても、泣いてしまう…。
幸いにも、私の友人や家族は無事だったけど、
6434人の人たちが亡くなって…。
月並みな言い方やけど、胸が痛くなる。
自分と置き換えて怖くなる。
今、地震が来たら、こどもら守れるかな?
layとree連れて、逃げられるんかな?
パパおらへん時やったらどうしよう…
いろいろ考えたら怖くなる。
考えたって仕方ないけど、考えておかなアカンこと。
そう思うと、いつも悩んでるlayのイヤイヤなんてどうでもよくなる。
こどもやパパが愛しくて仕方ないな。
もっと優しくなれそうな気がする。
もっと精一杯、頑張れそうな気がする。
しょうもない事で悩んでるのが、幸せな気さえしてくる…。
あさってはlay3歳の誕生日。
layの誕生日も、reeの誕生日も、パパも私も。
これからもずっと家族でお祝いしていけますように。
家族も、友達も、近所の人も、ただ知ってるだけの人も、
いつも遊びに来てくれてるブロガーさんたちも、
世界中の人が幸せになれますように…。
エライどでかいとこまで行き着いてしまったけど(笑
キレイごとかも知れないし、
全員が仲良く幸せ♪なんてありえへんことかも知れへんけど…
願わずにはいられません。
「なに言うとんねん!」「キレイごとばっか言いやがって!」
と思われるかもやけど…
今日ぐらいはカンベンしてください。
「みんな幸せになれますように。」
うん、いい願いじゃないか!
夢はでっかく! ね!ね!(うんと言って)
亡くなった方のご冥福を、心よりお祈りいたします。
2007年1月17日
ウ イ
コメント
当時私は滋賀県で高校生活を満喫してました。
地震は当時被害の少なかった区に住んでた祖父母家を直撃。
幸いにも無事でしたが、お見舞いに向かった際の戦争のような光景は忘れられません。
あの時感じた恐怖は被災者の方よりも風化しつつありますが、こうして改めて日常の大切さや家族・近隣の温かさを考えると…
今どうしたら家族を守れるかという問題にいきつきます。
避難セット、買おう…
地震は当時被害の少なかった区に住んでた祖父母家を直撃。
幸いにも無事でしたが、お見舞いに向かった際の戦争のような光景は忘れられません。
あの時感じた恐怖は被災者の方よりも風化しつつありますが、こうして改めて日常の大切さや家族・近隣の温かさを考えると…
今どうしたら家族を守れるかという問題にいきつきます。
避難セット、買おう…
幼馴染がね、ウイさんと同じ地域に引っ越して数年
経ってからの出来事だったの。
だから、すぐ連絡したんだけども繋がらなくて。
無事でいて!ってそれだけ願ってた日々・・・
あの時の毎日はあたしも抜け殻状態でした。
でも、やっと連絡がとれたら幸いにもみんな無事で。
幼い頃から地震恐怖症なあたしはさらに、恐ろしくなり
今でもそれは治らないよ。
震度2でも飛び起きて娘っこを抱きかかえるもの。
ウイちゃん辛いだろうに記事にしてくれてありがとうね。
改めて、今後の事も含め考えさせられたよ。
そして何より忘れてはならないという事も。
経ってからの出来事だったの。
だから、すぐ連絡したんだけども繋がらなくて。
無事でいて!ってそれだけ願ってた日々・・・
あの時の毎日はあたしも抜け殻状態でした。
でも、やっと連絡がとれたら幸いにもみんな無事で。
幼い頃から地震恐怖症なあたしはさらに、恐ろしくなり
今でもそれは治らないよ。
震度2でも飛び起きて娘っこを抱きかかえるもの。
ウイちゃん辛いだろうに記事にしてくれてありがとうね。
改めて、今後の事も含め考えさせられたよ。
そして何より忘れてはならないという事も。
その地震の頃、私は広島でバスガイドをしていて
ガイドの研修で小豆島(香川)へ行く途中でした。
5時に車庫を出発して、高速に乗って横になってたら
運転手さんが「何か揺れた、地震かも」って言ったの。
でもまだ広島にいたし、みんな朝が早かったからバスの中で寝てたの。
で、小豆島のフェリーに乗る前にニュース見て、小豆島についてからのニュースでビックリ。
それから数年たって、中学生の子供達を神戸に連れて行ったときには、私も一緒にお話を聞かせてもらったよ。
一昨年、町の体育館でバトミントンの試合に出てたらね、地震が起きたの。
チビ達を連れて行ってて、バスケットゴールの下で。
あの時、すごくゴールがゆれて、これが落ちてきたら・・・って考えたらすんごい怖かった。
少しゆれたくらいだったけど、みんなキャーキャー言ってね。
本当に地震って怖いよね。
最近せめても・・・で家具の下にはあまり家族が寝ないようにとか
考えるようになったよ。
こういうことって伝えていかなきゃいけないよね。
伝えてくれてありがとう。
ガイドの研修で小豆島(香川)へ行く途中でした。
5時に車庫を出発して、高速に乗って横になってたら
運転手さんが「何か揺れた、地震かも」って言ったの。
でもまだ広島にいたし、みんな朝が早かったからバスの中で寝てたの。
で、小豆島のフェリーに乗る前にニュース見て、小豆島についてからのニュースでビックリ。
それから数年たって、中学生の子供達を神戸に連れて行ったときには、私も一緒にお話を聞かせてもらったよ。
一昨年、町の体育館でバトミントンの試合に出てたらね、地震が起きたの。
チビ達を連れて行ってて、バスケットゴールの下で。
あの時、すごくゴールがゆれて、これが落ちてきたら・・・って考えたらすんごい怖かった。
少しゆれたくらいだったけど、みんなキャーキャー言ってね。
本当に地震って怖いよね。
最近せめても・・・で家具の下にはあまり家族が寝ないようにとか
考えるようになったよ。
こういうことって伝えていかなきゃいけないよね。
伝えてくれてありがとう。
あの時、僕は学校の寮で寝ていたんですけど揺れに気付いて飛び起きたのを覚えてます。
富山は震度3くらいで、大した被害は無かったんですけど、テレビで映し出される光景を見て、何も出来ないのが悔しかったです。
(郵便局に少しですが募金をしました)
そして、僕の住む地域も大きな地震の可能性があります。
そうなった時、自分が何をすべきか、考えておかないといけないですね。ここ数年ほとんど地震が無いんで忘れかけてました。
辛い事をあえて記事にして頂き、ありがとうございました。
富山は震度3くらいで、大した被害は無かったんですけど、テレビで映し出される光景を見て、何も出来ないのが悔しかったです。
(郵便局に少しですが募金をしました)
そして、僕の住む地域も大きな地震の可能性があります。
そうなった時、自分が何をすべきか、考えておかないといけないですね。ここ数年ほとんど地震が無いんで忘れかけてました。
辛い事をあえて記事にして頂き、ありがとうございました。
改めて
私はあまり身近に感じられる位置に居なくて、TVなどで見るだけでしたが
ウイさんの体験談はどんなTVの報道よりもリアルで
改めて地震の怖さをひしひしと感じました…ありがとうございます。
そういえば旦那の祖母が震災で家を無くして今は長野で旦那母達と暮らしてますが、
その祖母が「震災であまりにも変わり過ぎちゃってもう故郷って感じが薄い」
と言っていたのが印象に残っております。
それ程ひどい被害だったんですね…
改めて地震対策をきちんとしようと思いました。
みんなの何気無い日常がいつまでも続きますように…
ウイさんの体験談はどんなTVの報道よりもリアルで
改めて地震の怖さをひしひしと感じました…ありがとうございます。
そういえば旦那の祖母が震災で家を無くして今は長野で旦那母達と暮らしてますが、
その祖母が「震災であまりにも変わり過ぎちゃってもう故郷って感じが薄い」
と言っていたのが印象に残っております。
それ程ひどい被害だったんですね…
改めて地震対策をきちんとしようと思いました。
みんなの何気無い日常がいつまでも続きますように…
私も当時は高校生。初めて部屋の物が落ちてくる地震でした。
「今朝の地震はすごかったねえ」なんて話してた。
テレビを見て思うのは、近々起こるという南海地震。
今は子供もいるし、1階に住んでるし・・・
その時にちゃんと動けるのかどうか。
改めてちゃんと備えておかなきゃと考えました。
テレビに映ってても遠くの話って感じでしたが
読ませてもらってすごく身近に、他人事ではダメだと思いました。
ウイさんありがとう。
「今朝の地震はすごかったねえ」なんて話してた。
テレビを見て思うのは、近々起こるという南海地震。
今は子供もいるし、1階に住んでるし・・・
その時にちゃんと動けるのかどうか。
改めてちゃんと備えておかなきゃと考えました。
テレビに映ってても遠くの話って感じでしたが
読ませてもらってすごく身近に、他人事ではダメだと思いました。
ウイさんありがとう。
こんな身近な体験談を細かくにきいたのは初めてだったんで、
鳥肌立ちました。
当時は本当に「これって日本??」っていうぐらいショックでしたけど、何もなかった遠い関東で日々過ごしていると、
日が経つに連れてどうしても風化してしまってる現実。
でも、毎年この時期にTVで特集組んでたり、
こうやってウイさんみたいな人が体験談を話してくれたりすると、
改めて「これじゃいかん!!!」って思えるので、感謝してます。
ゆーみさんも言ってましたが、つらい体験だったでしょうに、
ありがとうございます。
ほんと、キレイ事と思われてもなんでもいいです。
世界中の人が幸せになれますように・・・・
鳥肌立ちました。
当時は本当に「これって日本??」っていうぐらいショックでしたけど、何もなかった遠い関東で日々過ごしていると、
日が経つに連れてどうしても風化してしまってる現実。
でも、毎年この時期にTVで特集組んでたり、
こうやってウイさんみたいな人が体験談を話してくれたりすると、
改めて「これじゃいかん!!!」って思えるので、感謝してます。
ゆーみさんも言ってましたが、つらい体験だったでしょうに、
ありがとうございます。
ほんと、キレイ事と思われてもなんでもいいです。
世界中の人が幸せになれますように・・・・
@ミッチー
うんうん、そうやんね。
どこにいたって、絶対何が起こるかわかんないし、
ましてや、災害なんかはね。
ある程度の準備や心構えはできても、
予防することは不可能だからね…。
でも、だからこそ!
こどもたちは自分の手で守りたい。
守るものがあるから、怖いんよね。
失いたくない、大切なものがあるから。
それってシアワセなことやんね♪
夢はでっかく!
これは忘れずにいたいなぁ…。
読んでくれてありがとうね。
うんうん、そうやんね。
どこにいたって、絶対何が起こるかわかんないし、
ましてや、災害なんかはね。
ある程度の準備や心構えはできても、
予防することは不可能だからね…。
でも、だからこそ!
こどもたちは自分の手で守りたい。
守るものがあるから、怖いんよね。
失いたくない、大切なものがあるから。
それってシアワセなことやんね♪
夢はでっかく!
これは忘れずにいたいなぁ…。
読んでくれてありがとうね。
@あやさん
読んでくれてどうもありがとうございます。
うんうん、防災セットは必要だー。
…とか言って、被災者である私でさえ、
防災セットの中身は、長女が用意した当時はいていた
Mサイズおむつが入ってるような状態(汗
当事者でもそんなもんです。
こうやって皆に読んでもらえて、
私自身、いろいろ思い出すことができたし、
改めて気を引き締めようって思いました。
ありがとうございました。
読んでくれてどうもありがとうございます。
うんうん、防災セットは必要だー。
…とか言って、被災者である私でさえ、
防災セットの中身は、長女が用意した当時はいていた
Mサイズおむつが入ってるような状態(汗
当事者でもそんなもんです。
こうやって皆に読んでもらえて、
私自身、いろいろ思い出すことができたし、
改めて気を引き締めようって思いました。
ありがとうございました。
@ゆーみさん
お友達、ご無事で何よりでした…。
本当、連絡が取れないって怖いですよね。
私らもそうでした…。
幸い家族は一緒にいたけど、友達や、親戚や…。
連絡がとれるまでは、不安だったよ〜。
この地震で、初めて地震を体感したんだけど、
(関西はそれぐらい地震が少ないので)
それからは震度2でも飛び起きるよ。
本当、怖いの。
読んでくれてありがとうね。
お友達、ご無事で何よりでした…。
本当、連絡が取れないって怖いですよね。
私らもそうでした…。
幸い家族は一緒にいたけど、友達や、親戚や…。
連絡がとれるまでは、不安だったよ〜。
この地震で、初めて地震を体感したんだけど、
(関西はそれぐらい地震が少ないので)
それからは震度2でも飛び起きるよ。
本当、怖いの。
読んでくれてありがとうね。
@blueskyさん
バスガイドさんだったんだ〜(ってそこに反応♪
でもでも、それこそ神戸方面じゃなくて良かった…。
バスの中とかだと、特に不安ですよね。
本当、私もこどもができてから
改めて考えることが多くなりました。
地震体験してても、独身の時はそこまで考えてなかったなぁ。
ま、身一つでなんとかなるからねぇ。
でも今は考えれば考えるほど、こわい。
寝場所とか、考えちゃうよね。
出来る限りの対策をしたいと思ってます。
読んでくれてありがとうございました!
バスガイドさんだったんだ〜(ってそこに反応♪
でもでも、それこそ神戸方面じゃなくて良かった…。
バスの中とかだと、特に不安ですよね。
本当、私もこどもができてから
改めて考えることが多くなりました。
地震体験してても、独身の時はそこまで考えてなかったなぁ。
ま、身一つでなんとかなるからねぇ。
でも今は考えれば考えるほど、こわい。
寝場所とか、考えちゃうよね。
出来る限りの対策をしたいと思ってます。
読んでくれてありがとうございました!
@ハルカズさん
そうやって、悔しい気持ちになってくれる方々がいるって、
本当に嬉しいもんです。
私が言うのもなんですが、ありがとうございますー!
どこにいたって、地震が起きる可能性もあるし…
阪神大震災やインドの地震なんて、本当いい例ですよね。
こうやって記事にして、読んでくださる方がいて、
私も改めて考えることができました。
ありがとうございました!
そうやって、悔しい気持ちになってくれる方々がいるって、
本当に嬉しいもんです。
私が言うのもなんですが、ありがとうございますー!
どこにいたって、地震が起きる可能性もあるし…
阪神大震災やインドの地震なんて、本当いい例ですよね。
こうやって記事にして、読んでくださる方がいて、
私も改めて考えることができました。
ありがとうございました!
@M56さん
長い話を読んでくださってありがとうございます。
おばあ様がおっしゃること、よくわかります。
私も18歳で神戸を離れて、
帰るたびに町並みが変わっていて…
どんどん新しくなって嬉しい反面、
寂しい気持ちもありますね〜
何気ない日常…
本当、それが続くって奇跡に近いですよね。
改めてそう思いました。
ありがとうございました。
長い話を読んでくださってありがとうございます。
おばあ様がおっしゃること、よくわかります。
私も18歳で神戸を離れて、
帰るたびに町並みが変わっていて…
どんどん新しくなって嬉しい反面、
寂しい気持ちもありますね〜
何気ない日常…
本当、それが続くって奇跡に近いですよね。
改めてそう思いました。
ありがとうございました。
@blue_snowさん
読んでくださってありがとうございます。
忘れずにいることって本当難しいですよね。
当事者である私たちでさえ、
ふだんは忘れて生活してますもの…
でも、こういうときに思い出して、考えるだけでも
違うんじゃないかなって思います。
考えたからどうってわけじゃないんですけどね(^-^;)
こどもがいると、ますます考えちゃいますが…
月並みですが、地震がこないこと、祈ってます。
読んでくださってありがとうございます。
忘れずにいることって本当難しいですよね。
当事者である私たちでさえ、
ふだんは忘れて生活してますもの…
でも、こういうときに思い出して、考えるだけでも
違うんじゃないかなって思います。
考えたからどうってわけじゃないんですけどね(^-^;)
こどもがいると、ますます考えちゃいますが…
月並みですが、地震がこないこと、祈ってます。
@umeさん
読んでくれてどうもありがとう!
風化しないように…と言っても、
被災者である私たちでさえ、
忘れていってるのが現状です。
忘れたくない…けど、いつまでも悲しんでばかりいられない…
っていうのが本音なのかな?
でもこうやって皆さんに読んでもらえて
思い出してもらえて、
一緒に考えてもらったり、幸せを祈れたり(大げさ?
それはやっぱり嬉しいことだなって思います。
こちらこそ、ありがとうございます!
読んでくれてどうもありがとう!
風化しないように…と言っても、
被災者である私たちでさえ、
忘れていってるのが現状です。
忘れたくない…けど、いつまでも悲しんでばかりいられない…
っていうのが本音なのかな?
でもこうやって皆さんに読んでもらえて
思い出してもらえて、
一緒に考えてもらったり、幸せを祈れたり(大げさ?
それはやっぱり嬉しいことだなって思います。
こちらこそ、ありがとうございます!
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●ウイの戯言●








激しく共感。
その日の事はあたしも覚えてるよ。
ウチ、静岡だけど、あたしの住んでる地域は震度3で、
2階の自分の部屋で寝てて、揺れに気付いて起きたもん。
あたしもね、時々不安になる。
ココは東海地震が起きたら1番被害が大きいって言われてる場所なの。
もういつ地震がきてもおかしくないって言われてるし。
子供が出来る前はそれでも漠然とした不安でしかなかった。
でも、ミユ&マユが産まれてからは考え方が変わった。
旦那がいない時に地震が起きたら。
ミユ&マユが幼稚園なり、小学校に行ってる時に地震が起きたら。
今、地震が起きたら。
あたしはミユ&マユを守れるのかなって思うと正直自信ない。
でも必死に守る。
それしかできないんだよね。
考えるとものすごく怖いけど。
でもやるしかない。
そう思う。
ウイちゃん、辛い思いいっぱいしただろうけど、
こうやって記事にしてくれてありがとう。
時間が経つとどうしても風化しがちだけど、
やっぱ忘れちゃいけない事だよね。
みんなが幸せになりますように。